生命活動

旧ブログ(2010-11)

表現の自由ガー!石原ガー! 青少年健全育成条例について

今日のネタにするのはコレのコメ欄。

最初に言っておくが自分は反対派である。


これ本当に青少年健全育成条例に対して自分でしっかりと考えた上で、結論を出しているの?
2010年12月15日22時18分24時08分現在で(書き終える頃に倍増していたので)

出版社を全面支持します!!
人間は生まれながらにして自由!!
表現の自由も確保されるべし!!!

この意見がそう思う9325 そう思わない1011

だから、石原の狂った果実とか発禁にしてよ。

この意見がそう思う8246 そう思わない408


絶対真面目に考えてないだろう。考えてのこの結果だとしたら溜息が出る。この9325と8246と言う数字の内訳は大部分が被っているだろう。被っていないのだとしたらそう思わないの数がおかしい。

表現の自由を!と狂った果実を発禁にしろ!と言うのは余りにも矛盾していないか。ダブルスタンダードもいいところだ。漫画/アニメに対しては表現の自由を奪うな!と言い、憎き石原に対してはお前の小説を発禁にしろ!と言う。ちょっと考えたら自分の言っている事がおかしいと分かりそうなものだが……。

大体がこの問題で大騒ぎしている人の多くが(飽く迄"多く"だ)、センセーショナルに条例反対を煽り立てるオピニオンリーダーに引っ付いているフォロワー的な人であると自分は思っている。そして自分で考えようとはせずに、情報をそのままインプットして、そのままアウトプットしているだけ。果たしてこれでいいのだろうか?

ネットで騒ぎ立てているだけで、実際に都に送られた嘆願書は約300。少なすぎやしないだろうか。(3月の時点でも300件とあってメールでは2000件以上【スパム的なものも合ったと言うがソースがリンク切れしていたので定かではない】とあったので全体としてはこれよりも多いだろうけど)この条例が可決されたら漫画やアニメが危ない、と触れ回っているだけで実際に東京都に意見を書いて出したと言う人は少ないんじゃないだろうか。自分も危惧しているだけで東京都に意見を出さなかったうちの一人なので、大それたことは言えないのだけど……。

自分はチャンピオンREDいちごに載っているような過激な性描写をしている漫画は、流石にゾーニングされて仕方ないと思っている。R-15くらいに。ほぼエロ本じゃないですか、アレ。完全にエロがメイン。赤貝はやりすぎだろう。

第7条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場(興行場法(昭和23年法律第137号)第1条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

二 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害する恐れのあるもの

恐れがあるもの、と言うのは捉える人によって判断が変わってくるだろう。だから怖いのだ。ベルセルクはどうなる?NANAはどうなる?ぼくらのは?ブラッドハーレーの馬車は?さっきのR-15くらいにと言うのも自分個人の捉え方だ。そこを危惧するからこそ反対する人が多いのだろうと思う。

そして、これは条例に引っ掛かってしまうのではないかと表現者が畏縮して、条例が無かった時には表現できたものが表現できなくなる。この問題も大きな反対要因であろう。

子供たちに必要なのは(規制ではなく)リテラシーをつけさせること」と述べ、規制強化よりも情報リテラシー性教育の向上が重要と訴えた。
                                  嘆願書は約300のリンクより

全く以ってそう思う。だがしかし条例は既に可決されてしまった。

法案が成立した今、我々はその立法趣旨を厳然と受け止め、まずは不要不急の拡大解釈論を封じ、不断の努力で以ってその運用を監視し、青少年の健全な育成環境の醸成に尽力すべきであろう。
                                  アニオタ保守本流より

この通り条例の運用を見守っていくしかないだろう。20万人の嘆願書を集めれば、と活動している人もいる。それもいいと思う。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

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彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
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そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
                                 マルティン・ニーメラー

我々は最初の段階で声を上げたのである。この事実は変わらない。