生命活動

旧ブログ(2010-11)

爺ちゃんが脱糞した

爺ちゃんが脱糞したので今日は脱糞記念日。
初めての投稿だと言うのに、なんと汚いタイトルだろうか。
でも、記事を書き出すにはいい機会だと思ったので、ちょっと綴ってみる事にする。


いつものようにPCの前でぐだぐだしていたら尿意を催したので、俺はトイレに向かうことにした。だが目的地に向かう途中で、祖母に「じいちゃんが先に入ってるよ」と言われたので、すごすごと自室へ戻った。なんだか臭いが少し漂ってきていたので大きい方なのだろう。出るまでまたぐだぐだとしていればいい。まだいくらか膀胱には余裕があった。

十分くらい経った頃、また席を立った。なんだか嫌な臭気が鼻を突いた。嫌な予感が頭をよぎったが、まさかな、とその時は気にしなかった。さっきまでは回っていなかった洗濯機が回っていた。ウチの洗濯機は大分古いものなので、ガタガタと音を立てながら回っていた。トイレのドアは開いていた。

最初に目に入ったのは糞がべったりと付いたトイレマットであった。ああ、そんな、本当に。祖父は脱糞していたのである。あれだけ普段偉そうにしている祖父が! 傲慢で頑固者で、自分が若い頃の話を繰り返し繰り返し延々と話す祖父が! しかも便器を目の前にして……。

とても情けなくなったと同時に、少しばかりの戦慄を覚えた。自分も老いた時にこうなってしまうのではないか、というものと、介護職に就いている、若しくは家族を介護している人達は日々このような体験をしているのだろうか、というものだ。

結局は祖母に後処理をしてもらったのだが(家族のものだとしても、やはり大便を処理すると言うのは自分にはまだ出来なかった。生憎スカトロ趣味はない。たとえある人間だとしても、身内の便に興奮するのか? )、途中まで片付けているんだから最後まで自分でやれよ、と祖父に対して思った。脱糞はしたものの、まだ痴呆ではないはずだ。普通に会話できるし、毎日元気に酒を飲み、タバコを吸い、新聞を読んでいる。それなのに自分のした糞の始末を自分でしないとは一体どういうことなのだ。

自分はただトイレマットにへばり付いたウンコを見ただけで、他には何もしていないのだけれど、介護を苦にして殺人だとか自殺だとかする人の気持ちが少し分かった気がする。たったそれっぽっちで分かる訳ないだろうと言われそうだが、家族の排泄物を目の当たりにするというのは未成年にとっては中々ショックなもので(未成年じゃなくてもショック受けるだろうけど)、心にズーンと響いてきた。ウンコに心を響かせられるなんてこれまで考えたこともなかった。

介護って凄いな。自分にはとても出来そうにない。年月を重ねてもし両親が介護が必要になったら、と思うと今から気が気でない。そうなる頃には介護環境が今より格段に飛躍して、発展していることを願おう。

そして老いって怖いな。抗うことが出来ないから。まだ臭いの残るトイレにファブリーズを撒いて、老いてもこうはなりたくないものだと思いつつ、俺は溜まりに溜まった小便を便器にぶちまけるのであった。勿論、便器の外には漏らさずに。